私は物心つく前、おそらく2歳頃から絵を描いてきた。家族や親戚一族に美術関連の人もいないし、家庭が裕福だったわけでもない。群馬の田舎で生まれ、地元の名産といえばキュウリとしいたけ。それ以外は特に何もない町。毎日何かしらの空しさを感じ、違和感のまま過ごしていた。ちなみに名産のしいたけは毎日食卓に出されるため、当時は嫌いだった。

 

私は身長も低く内気な子供だった。小学生に入る頃、事故で右足を怪我し骨自体が粉砕してしまった。それ以降は、足全体を石膏で覆い、松葉杖をつきながら生活していた。

とにかく暇だった思い出ばかりである。家にいても、遊べるオモチャも沢山持っていなかったので、やることは絵を描くくらいで一人遊びがエスカレートしていった。お金がかからない広告の裏に鉛筆で絵を描いていた。これだと画用紙を買わなくてよく、鉛筆は母が三菱鉛筆に勤務していたた家には鉛筆だけ山ほどあった。同級生が自転車で、山や川に遊びにいく中、私は毎日アタマの中で妄想して絵を描いていた。

 

ひたすら絵を描くのが楽しいかどうかといったら疑問だが、ずっと描いていたのは楽しかったのかもしれない。ただ、それしか出来なかったというのが近い感覚です。勉強も運動もできない子供は、元気ハツラツで話しかけてくる他の子供達と話すのが難しかった。勢いに対して、こちらもうまく答えれないので、そのうち誰かと遊ぶことが面倒になっていった。チラシの裏は逃げだった。逃げ場といえば、よく神社にもひとりで散歩した。静かで学校の子供もいない場所だったから避難していたのだ。

 

カテゴリー: Bio エッセイ

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