無常のブルー『TRUK LAGOON トラック諸島 閉じ込められた記憶』

投稿者: Atelier Arai Fuzuki 投稿日:

深遠な海の中に身を沈めれば、無重力の浮遊感。
目の前には鮮やかな魚達が横切り、好奇心旺盛なイルカや色とりどりのサンゴ礁、人間よりも遥かに大きく愛嬌のあるマンタやジンベエザメなど。ダイビングは、陸上では味わえない世界を堪能できる。
一方、太平洋戦争時の旧日本軍の重要拠点であるミクロネシア連邦チューク州。旧トラック諸島と呼ばれたこの地は空襲により2日で壊滅した。現在、存在するのは戦火に撃沈した戦艦や商船。チューク島はいま大きく変化している。

富士川丸(海軍特設運送船/6,938トン)の船首

本書はトラック空襲により海に沈んだ船にフォーカスした写真集だ。商船として生まれながらも、徴傭された軍用船や戦艦、米国のトラック大空襲で沈んだもの40隻余。それらを水中写真家である著者が9年の間撮影し、少しずつ記憶を紡いできた。

著者は水中写真家、古見きゅう。日経ナショナル ジオグラフィック写真賞にて優秀賞を受賞。世界を旅し、一年の3分の2は海に潜っているという。ダイビングの中でも、レックダイビング(沈船ダイビング)の名所として、チューク島と出会ってからは、この島のすべての沈船に潜り写真として記録しようと決意した。

チューク諸島は第二次世界大戦末期の昭和19年、日本の艦船や航空機が米軍の攻撃をうけて沈没している場所だ。現状で把握されている沈船は航空機と42隻。これらの船には多くの船員が乗り込んでいたが、その遺骨は1980年後半にやっと引き上げられた。雨や風、直射日光の影響がほぼない海中は保存状態が安定しているため、陸上の戦跡に比べると相対的に長持ちする。だが著者が見る限り、この70年の歳月はあまりにも長く、この後チューク島の沈船がいつまでも姿をとどめようとしている保障はない。著者は現状を記録するため生命をかけて向かい合う。

本書の構成はチューク島の綺麗な写真からはじまるが、ページをめくるにつれ対比的に、深く暗い海とともに鉄も錆びて荒廃した船の姿が現れる。写真からは、沈船の姿が時を経て大きく崩れつつあるのが伝わってくる。 


桑港丸(海軍特設運送船/5,341トン)に積載していた九五式軽戦車
基本的なレジャーでのスキューバダイビングで潜る深さは1020mほど。当然のことながら、チューク島に現存する沈船は水深が異なる。水深70mを超える場所に位置する葛城山丸などは、ディープダイブの経験がないと命の危険がある。この深さは窒素分圧が高まる窒素酔い(フワフワと気持ちよくなる、視野が狭くなる、など酒に酔ったような麻酔作用のある状態)や、減圧症(身体における窒素の排出が間に合わず、体内組織に気泡として残り、各器官に障害をもたらす)を起こしやすいのだ。

文月 (軍用駆逐艦/1,315トン)に残されていた文書
艦内にあるこの文書は写真で収めた当時は存在したが、今はもうない。これは昭和19年ラバウルにて攻撃をうけ損傷、修理のためトラックに入港し2月17日の大空襲を受け沈没した軍用駆逐艦での写真だ。空き瓶、靴、銃弾などはもちろん経年劣化もあるが、むやみに触れれば簡単に崩れてしまう。花と同様、朽ちゆくものはときに美しくはかない。偶然にも私の名と同一
本書の装丁は、四辺を黒で縁取りしているため、沈船の記憶を閉じ込めているようにも見える。海底に今なお眠る無数の船は、これからも消滅の道を辿るが、本書を開けば、いつでも沈船の記憶に触れることができる。こうした海中の臨場感まで引き立てられるデザインは、多くのダイビング写真集には見あたらない。デザイナーの面目躍如といえるだろう。
さらにこの本は写真のみならず、住民の2割は日本との血のつながりがあるというチューク島に住む彼等へのインタビュー、船のスペック含めた歴史的背景も学ぶことができる。写真好き、海好きはもちろん、歴史から何かを学ぶセンスを持つ方には特におススメの一冊だ。

写真:りおで志゛やねろ丸(海軍特設運送船/9,626トン) 機関室内の時計
古見 きゅう 写真展:TRUK LAGOON 閉じ込められた記憶
キヤノンギャラリー銀座/札幌/梅田
http://cweb.canon.jp/gallery/archive/furumi-truklagoon/

※掲載されている写真は全て著者本人より承諾済
カテゴリー: RECOMMENDED BOOK

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