純粋なる夜『クートラスの思い出』

投稿者: Atelier Arai Fuzuki 投稿日:

ロベール・クートラス(1930~1985)という画家は生前、現代のユトリロと評されていた。フランス存命中にも熱心なファンがいたものの、美術界で光があたる評価はあまりされなかった。しかしその作品達が没後四半世紀を経て、現在故郷パリから遠く離れた日本で注目をあびている。

舞台はフランスなので、物語にはパリの町並み、アルザス、ブルターニュのカテドラルなどが背景である。クートラスは貧しい家庭に生まれ、少年期はフランス国内を転々としていた。石工を経て、夢だった絵描きになるが、契約した画商と衝突し再び無一文生活を送るようになる。創作の裏ではいつも空腹を抱え、挫折に満ちた悲しい生活を送った反面、数々の恋愛による充実感に満ちた生活も送っていた。

クートラスはわずか6×12cmの小さなサイズの靴の函やダンボール、ポスターの裏をキャンバスとし、幻想的な絵を描き続けた。それをカルト(carte)と呼び、フランス語ではcarte、英語でcard(カード)になる。ちなみに日本のカルタはポルトガル語の「carta(カルタ)」に由来するそうだ。

表紙の帯を外してみると、カルトが並ぶ装丁となっている。これらは6枚組、12枚組、15枚組と内面的に必然性のある絵画として組み合わされ、リシュリー通りの画廊に展示されていたそうだ。カルトは靴箱や広告など、身近にある厚めのボール紙に油絵の具で下地が塗られただけの画布だったりもするが、何度も塗り直し、引っ掻き、ぼかし、擦られ、何層もレイヤーができ重厚感が漂うものもある。その絵柄は人の顔をした昆虫や鳥、植物や本人の「COUTELAS」の文字などが画面を覆う。

カルトは毎晩描き続けられた。それらは「僕の夜“Mes Nuits”」と名づけられ、その数は6,000枚を超えた。

著者の岸真理子・モリアはクートラスの最晩年に同居し、彼の遺言でカルトを引き継いだ相続人である。本書では、今まで詳しく知られる事のなかった彼の生涯を綴っている。

彼女は言う「クートラスの優しい言葉や声は、彼が亡くなってからもずっと耳に残り、書きとめていた。人に見せる勇気もなかったけど、彼を直接知る人物はもう私だけだからと周囲に書くよう勧められました」
 honznas_carte_art_japan 

(c)Fuzuki Arai 

クートラスは心やさしい子どもだった。母親から一緒に食べるお菓子を2つ買ってきなさいとお小遣いをもらうと、ひとつだけ買って、残りは日曜日に一輪の薔薇を贈るために貯めておいた。また生活を犠牲にしてでも表現の自由に魂を捧げた、孤高の画家であった。パンが食べれない日が続いても、絵を書き続ける事は貫いた。好きな女性に対してはわずかなお金で花をプレゼントし、買うお金が無い時は工事現場の脇に咲く花をつみ、花束にしてプレゼントする人間だった。

だが、そんなクートラスの母はひっきりなしに男を変えていた。再婚した新しい父親はとても厳しく、おかげで学校の成績はいつも一番だったという。だが父親が面倒をみなくなると、とたんに成績はビリになった。学校のテストでは真っ白な紙は無限の可能性を秘め美しく感じたので、彼はそのまま試験で名前を書かず答案用紙だけを返した。先生に怒られたが、本当は紙を汚したくないからだった。

クートラスは直接手に触れる石や彫刻など作品の中から、苦痛や悲しみ、また希望や喜びを吸収していった。石工時代、彼はオーベルニュ地方で馴染んだロマネスク教会やブロワのルネッサンスと美術史と精神史を身体中で吸い上げていった。だが、いつも親方からは「もっと早く!」と言われ続けていた。この言葉ほどクートラスが嫌いな言葉はなかった。画家として独立した際に契約した画廊も言う事は同じだった。「もっと早く描け!」

彼は心で物を見たので、絵を商売の道具としか見れていない画廊が多かったのも嫌気がさしていたのだ。無一文で放浪している間、クートラスの母は他界した。晩年、彼は著者に言った。「ママンに手紙を書くんだよ。一言だけでいいんだ。愛しているって伝えるんだよ」と故郷を離れて暮らしている彼女に、何度も言ったそうだ。

私は、夜に描かれたというタロットカードのようなカルトを眺めていると、人間に対する希望や絶望、闇から光といった、人の良い所も悪い所も味わったクートラスの感情をひっそりと汲み取れる。内面の魂で物事を見て旅をすると、出会う風景や、その土地の魂と呼応するように、自分の中にある「純粋さ」が呼び起こされた気がしてくる。彼は無神論者だったそうだが、カルトからはどこか祈りに似た思いが伝わってくる。

本書は画家との出会いと死別を回顧しているが、同時に流浪の貧乏暮らしに身をおいた画家のピュアな切ない物語でもある。時間がごくゆっくり流れる静かな夜にオススメの一冊。
 

———-【こちらもオススメ】———-
クートラス本人が「R?serve du patron」(必ず手元に)と著者に言い遺したカルト作品集。2010年、彼の作品は1点で約12万程で販売していたが、現在は品切れ。作品に興味を持った方にはこちらを推薦。

ロベール・クートラス作品集『僕の夜 Mes Nuits』

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  • 作者:
  • 出版社: エクリ
  • 発売日: 2010/10/12

南アフリカで見た根付コレクションは今でも鮮明に焼き付いている。英国人の陶芸家である著者は、東京に暮らす大叔父から根付のコレクションを相続し、来歴について調べ始める。その中で一族の没落とナチスによるユダヤ人迫害の悲劇を知る。2010年イギリスにて大ベストセラーとなった一冊。

琥珀の眼の兎

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  • 発売日: 2011/11/10
カテゴリー: RECOMMENDED BOOK

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