彼は「銀河文字」を通して私たちに宇宙を見せてくれる
He shows us the universe through the “Galaxy Words”.
アンドレアス・クラフト ベルリン芸術大学教授
Andreas Kraft Professor, Berlin University of the Arts
今でこそスマートフォンやITは社会に浸透しているが、私は身体の重要性を日々再認識している。2000年当時の私は非常勤講師として、東京の多摩美術大学情報デザイン学科でデザインとプログラミングを教えていた。多くの学生がテクノロジーやデザインの新しい可能性に挑戦している中、新井はひとり伝統的な技法にこだわっていた。私を含め教員達は、彼がデジタル技術の新たな可能性に乗り遅れているのではないかと考えていた。
今となっては全く逆で、彼のプロジェクトは「東京の街を自分の足で歩き、それぞれの街の特徴を記号とタイポグラフィで視覚化した」ものであり、それは身体的な体験を通して現実を見つめ直すことの重要性をすでに表していた。このとき使用した文字のコラージュは、私の故郷ベルリンの1920年代のダダ運動を思い起こさせるものだった。彼の文字は巨大な黒い文字と画像のコラージュで、自分の置かれた現実を再定義していた。これは直観がなせる業なのか、その時すでにロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズと同等の表現をやってのけていたのである。
今でも新井は地球環境を調べあげ、ビエログリフに似た記号や古代文字のタイポグラフィを使って、人類が次なる時代へとシフトする意味のレイヤーを視覚化している。学生時代は小さな紙に丁寧に記号を描いていただけだったが、今や大きなキャンバスに大胆な筆致で作品を制作している。ダンスヘの情熱を知る私にとって、その筆跡はイメージの要素の象徴だけでなく、それがどのように描かれたかという運動の象徴でもあることが理解できた。
そのイメージは少しキース・ヘリングのドローイングを思い起こさせるが、新井の場合はポップアートというより、もっと形而上学的だ。彼は産業革命からの文化とデジタルすらも「自然」と捉えているが、それは意識が拡大している世界の見方なのだ。新井の作品はシンボルであり、それを通して私たちに宇宙へ旅する先の時代を見せてくれる。
現在は過去と未来をつなぐ
Present connects the past to the future.
久保田晃弘 多摩美術大学教授
Akihiro Kubota Professor, Tama Art University
新井文月の「銀河文字」と出会って、僕がまず思い出したのは、古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガーが発見した、古代の記号群であった。ペッツィンガーは、1〜4万年前の氷河期の洞窟に残された、有名な動物の絵ではない、落書きのような「記号」に注目した。そして52の遺跡、368の洞窟に残された5000個以上の図を収集することで、幾何学記号のデータベースを作りあげた。しかも彼女は、それらの記号が、わずか32種類の記号に収斂できることを発見した。
身振りや話し言葉から書き言葉、あるいはイメージから言語へのトランジションを示すこれらの記号は、ある程度の時間幅があるにせよ、地理的に遠く離れた場所に同じものが現れる。無線やインターネットのような遠隔通信の技術を持たない、遥か昔の人々が、現代の素粒子論や量子論さながらに、こうした非局所的な同時性や継続性を持ち得たのはなぜなのか?
芸術にせよ、科学にせよ、工学にせよ、哲学にせよ、人文学にせよ、それらはみな、ここ数十〜数百万年の地球の状態と、進化によって形作られた人間の身体の基本構造に根ざした、環境的、身体的なものに根ざしている。数学といえども、その体系の基盤となる公理システムは、他の日常言語と同じように、私たち人間の、身体化された経験に基づく認知活動から生まれた。
人間の感覚、思考、そしてコミュニケーションは、脳を含む人間の身体を通じてつながっている。言語学者のジョージ・レイコフと、哲学者のマーク・ジョンソンは、そうした日常の経験から抽出される抽象的・一般的な認知図式を「イメージスキーマ」と名付けた。氷河期ヨーロッパの幾何学記号も、新井の銀河文字も、このイメージスキーマとの深い繋がりを感じさせる。それは社会をかたち作る、人間のコミュニケーションの基盤であり、メタファーによって拡張する、人間の思考の基盤であり、芸術という、人間の、人間による、人間のための諸表現の基盤である。
新井の絵画を見ていると、そこに描かれているものそのものだけでなく、そこから枝葉のように分かれていく、あるいは時間を遡っていくような、それが属しているであろう世界や宇宙が立ち現れる。銀河文字が、文字の始原としての太古の共通記号につながっていく。未来を創造することと、過去を想像することは見分けがつかない。過去と未来は現在によってつながっている。
「それ」は何か特別なものというよりも、あたりまえであるがゆえに見過ごされているもの、気づいているはずなのに普段は隠れているものを顕にする。「それ」は決して、超越的、抽象的なものではなく、人間であればだれもが否応なく感じてしまうもの、考えてしまうものを思い起こさせる。芸術の対象そのものではなく、対象との関係としての体験が個別のものであればあるほど、「それ」は普遍とつながっていく。すると人間一人ひとりの存在が、肯定的でもなく、否定的でもなく、批判的、発展的に受け入れられるようになる。
100万光年先の銀河から、地球にその光が到達するためには、100万年という時間が必要だ。銀河をみるということは、遥かな過去をみる、ということでもある。地球から「近い」銀河といっても、それは地球からおよそ1170万光年以内にある銀河のことを指す。地球から最も近い銀河とされる、おおいぬ座矮小銀河(Canis Major Dwarf Galaxy)ですら、約2万5千光年の彼方にある。今私たちが見ているこの銀河から光が放たれた頃、人類は記号システムを少しずつ生み出し始め、今それがようやく解明され始めた。確かに、すべては相互につながっている。新井の銀河文字や、そこから生まれたさまざまな活動も、そんな普遍的ネットワークの中にある。
久保田 晃弘プロフィール
多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース教授。「ARTSATプロジェクト」の成果で、平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣賞(メディア芸術部門)を受賞。著書に『遙かなる他者のためのデザイン』(BNN新社/2017)、『メディアアート原論』(フィルムアート社/畠中実と共編著/2018)などがある。