「Flower Project Exhibition 」will be held by Fuzuki Arai,
At the Japan Information Center Gallery of the Consulate General of Japan in New York
「貴殿より申請のありました当広報センターギャラリーの使用につきましては、本件が日米文化交流及び友好親善の観点から有意義な事業と認められるため、これを許可することになりましたので、お知らせいたします」
在ニューヨーク日本国総領事館での展示が決定しました。日本で展示会場を探していましたが、2010年当時の私は無名でありギャラリーは実績ある作家しか扱おうとしない態度でした。また銀座など貸しギャラリーでは1週間で30万以上などと高額料金で、場所探しに困っておりました。
それならフラワープロジェクトで経験した日本の震災後の現状と、文化を伝えようと自分で企画書つくって、アメリカで探し、領事館を発見し、申請書を提出したら通った次第です。
私は小さい頃から絵を描いてきました。幼少の頃から足が悪く、コミュニケーションがとれない自分にとってこうしたアートの最先端で発表できることに感謝いたします。
ニューヨークにてアートの展示会「フラワープロジェクト」
FLOWER PROJECT:2014年6月、在ニューヨーク日本国総領事館にて一ヶ月開催
展示タイトルとなっているフラワープロジェクトというグループを主催いたしました。これはアートの力で、ネガティブな場所と思える場所に付加価値を創るお手伝いをしています。東日本大震災での被災者の多くは、家を失い仮設住宅に住んでいました。私はまず岩手にて似顔絵を描くボランティアの活動を開始しました。その活動の延長として、2012年には宮城県石巻市糠塚前団地の仮設住宅の壁70mに龍の絵を描きました。
これはボランティアと住民の方達100名と一緒に描いたもので、仮設住宅の自治会長からは「龍の勢いのように早く復興して、自分たちも前に進みたい。絵を見ることで前を向く力になればと思う」とコメントをいただきました。
その翌年、会長は進行していたガンのため他界されました。ただアートで一緒に活動していた間は、生き生きと筆を進めて顔は輝いておりました。
私はこの現象を報告したいと、ニューヨーク展ではその制作プロセスを展示しました。
私の『FULL-CIRCLE』という作品は、骸骨を祖父に子供を次の世代にみたてた「輪廻」を表現しています。これは人も世も無常ということですが、世代交代していく以上は次の世代に希望を持ちたいものです。そのため、絵の中心である親の口元には希望の笑みがあります。
海外の方を相手にするときは、こうした理由「なぜ金箔を使用するのか」「なぜ風が吹き荒れているのか」、「なぜ素材に着物を使用するのか」などひとつひとつ説明しなくては納得してもらえません。
村上隆さんの著書『芸術闘争論』では、こうした現実に対しての方法論が書かれています。日本の美術の時間では、先生がよく「感じたままに描きなさい」と言っていたのを覚えています。その授業のせいで、感覚的日本作家が増えてしまいました。例えば日本の浮世絵は、モネやゴッホなど印象派に影響を与えていますが、それまでの立体かつ写実的なルネサンス式で描いたものから逸脱した印象派にとって、大胆な構図や色遣いは次に進むヒントとなりえたのです。
海外で展示することで、自国の文化の強みを知るきっかけにもなります。自分の意見を纏めてクリアに主張するためにもアートの文脈を知るのは有効と気づきました。
また、ニューヨークの展示には輸送費に莫大な費用がかかることに気づきました。そのためクラウドファウンディングサイト「READYFOR?」で展示資金を募ることになります。結果は目標額104万円のうち、期日最終日でちょうど達成することができました。このプロジェクトでは、支援してくれた人に対して私が似顔絵などのアートを制作することでしたが、気づいたのは、ひとりひとりが何かを応援する気持ちはとても愛にあふれる行為ということでした。
資金を達成した翌日にJFK空港へ出発、プロジェクトメンバーから3名も有志で同行してくれました。そしてクイーンズのアートショップで材料を調達、展示前日は深夜三時まで皆で作業し、そのまま寝ずに出発。搬出当日に全員で『LOVE』の作品を描き搬入を完了させました。無事ニューヨーク展は開催され、マンハッタンの中心地である会場には世界各国の人達が観にきてくれました。
現地新聞4誌に掲載され、展示に来てくれた方からも熱いメッセージが届きました。震災をきっかけにボランティアを始めたこと、日本で断られても、海外を視野に入れて企画を持ち込んだこと、作品の画風とコンテクストが様々なパターンを展開して挑戦できた経験は、他にかえがたいものです。
嬉しいことに現地の人からは「とても興味深い活動だ」、「仮設住宅の人達も、こんなに巨大な龍がいれば精神的な支えになる」など意見をいただきました。驚くのは、ほぼ全ての人が日本の2011年の東日本大震災を知っていることです。同時に、その後を知らない状況でした。なにより「アートで困難な場所を魅力的にするなんて、とてもエキサイティングな活動だね」と言われることは、最高に嬉しい言葉でした。
展示会には、LAからシカゴまで自転車で一人横断している宮城出身の青年が訪れました。彼は横断中に地元を心配していたのか、展示風景を見て身体を丸めて涙を流していました。その背中はいまでも忘れられません。
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