レオナルド・ダ・ヴィンチの名で何を思い浮かべるだろう。スフマート技法による『モナ・リザ』の作品だろうか、またはキリスト教の聖書に登場する『最後の晩餐』の画家としてだろうか?周知の通り、彼は絵画のみならず彫刻・建築・科学・数学・解剖学・地学など、極めて広い分野に精通していた。各分野における天才だということは確かなのだが、どのような環境で育ち、複雑な戦時下でパトロンを変え逞しく生き延び、失敗を重ねても妥協せずに制作に取り組んだ様子はフォーカスされていない。

本書ではレオナルドの複雑な生い立ちから、フィレンツェでも最高の芸術家とされる師ヴェロッキオに出会えたこと、そこから独立しルネサンス 期の各都市に移らなければならない生涯をなぞる。ポップなイラストとリズム感のある文章のおかげで、レオナルドの物語はテンポよく進み、まるでドキュメンタリー映画を見ているかのような心地よさがある。

非嫡出子として産まれたレオナルドの洗礼名はレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ。これは単純に「ヴィンチという町に住む、セル・ピエーロの息子レオナルド」という意味でしかない。「レオナルド」というごくありきたりの平凡な名前でスタートした彼の人生は、晩年まで私生児とからかわれ続けた。ただレオナルドは公証人である父の影響を受け継いだのか、記録を好む性分であった。それは手稿に残された1万5000ページにわたる自然や動物、工学への記述があり、それらは随所で自分の作品と人生を切り開く助けとなる。

ルネサンス期の工房


フィレンツェにとって美術は一大事業だった。現代のアトリエやスタジオと違い、レオナルドが弟子入りした師ヴェロッキオの工房は、騒がしいく大勢の人がせわしく働く場だった。絵画に彫刻、ブロンズ、大理石、テラコッタ、金や銀など幅広い材料を駆使しながら、工房は独創性ある作品を生み出していった。

本書には、師ヴェロッキオと一緒に描かれた代表作『キリストの洗礼』 も掲載されている。驚くのはメインのキリストよりも、弟子のレオナルドが描いた(左隅にいる)天使のほうが、数段精妙に描かれているのだ。ある意味、師を凌駕した彼の技術を証明しており、レオナルドが描いた絵は単なる素描にもかかわらず、マリアの顔を彷彿とさせた。そのため皆が膝をつき拝みはじめる逸話もあるほどだった。

翻訳の出版物には当たりはずれが多いが、本書における読みやすさは監訳・翻訳者の力量によるものだろう。おかげで特に専門的な知識を持たずしても、当時のルネサンス期の世界観に入りこめる。


ミラノのルドヴィーコ

やがてミラノを治めるルドヴィーコに才能を買われ、給与を貰いながら制作を続けることになる。ただレオナルドにとって、ひとりの君主への忠誠は、同時に自由の喪失を意味した。ルドヴィーコのために兵器を設計しながらも、のちにルドヴィーコを追放したヴェネツィア共和国の軍の技師としても雇われた。その間もフランス王からの注文も平然と受諾している。

実際に1499年9月フランス軍がミラノ侵攻に勝利すると、パトロンであるルドヴィーコは捕虜となり獄死する。だが、フランス王ルイ12世は首尾よく新たな絵の注文を発注した。こうして彼はうまく立ち回り生き延びていった。



菜食主義者

この時代の人間としてはかなり珍しいのが、彼はベジタリアンだった。レオナルドは動物たちに大きな興味と共感を示していた。彼はよく籠に入れられた小鳥を買い取っては、そのまま逃がしてやったそうだ。同時に彼は自然の淡泊なもの、動物以外の食だけで生きていけるという発言も残している。


宮廷での生活

パトロンの愛人達の肖像画も多く制作した。仕事は常に依頼される。よくレオナルドは完成しない画家と呼ばれているが、彼の性格を鑑みると新しい技法を常にチャレンジし続けた結果、失敗も多かったせいだろう。同時に好奇心も強いので、その間作品は進行が止まってしまう。当時、23歳年下のミケランジェロも「仕事をほっぽり投げてしまう人」と吐き捨てていた。しかしミケランジェロ作『最後の審判』に登場する人体は、デフォルメが多くレオナルドほどの正確な表現ではない。

レオナルドの手記には、恋人同然の若い弟子への嫉妬と妬みの言葉もあり、天才も同じ人間として身近に思えてしまう。それでも晩年に表した自然の神秘を数学的に表現した『ウィトルウィウス的人体図』には驚愕する。伸ばした四肢は、円形と方円ーふたつの基本的な幾何学的要素のどちらにも内接している。「自分の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」の言葉よろしく、レオナルドがこの素描によって視覚化したことで、その後何世紀にもわたり、この理論は万物探求のシンボルとなった。


ひとりの生涯の生い立ちをなぞることで人間像が浮かび上がる。レオナルドの愚直さが垣間見える貴重な一冊だ。

※画像提供:パイ インターナショナル

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